2011年4月19日火曜日

よね子の死

直前に触れたが友人の「よね子」が死んだ。
ずっと肝臓が悪かったってのは聞いていたのだが…肝硬変がここまで悪くなっていたとは…。
私は、2002年ごろから彼(いや、彼女)の店に出入りするようになった。
身長183センチで、和服姿、草履を履くと190センチ近くになる、大「おかま」。
でも、料理は絶品!
凝った料理は無いものの、カウンターに並んだ料理がとても美味しく、深夜5時ごろまで営業しているので使い勝手も良かった。
ほとんどの客が0時を過ぎてから訪れる。
スナックのおねーちゃんたちが客と一緒にアフターで訪れる店。
私はといえば、客のあまりいない21時頃から美味しそうな物ばかり食べて、さっさと帰る(笑)
私は年末年始をよねちゃんの店で過ごすのがここ数年の恒例となっていた。
2005年の岡山国体の時は、無理をお願いして某通信社の食堂がわりに大活躍。
秋季国体開会式の時、式を見に来ていたよねちゃんが、山陽新聞の1面に小さく載っていた(笑)
去年秋、知り合いのスナックママと一緒にそのママの店で仕事を始めた。
今年年初に医者から「桜は見れないかも」と告げられたとか。
入院すれば若干の延命もあったのだろうが…「管につながれて、本名になって死ぬのはいや。よね子のまま死にたい」…と、亡くなる前日まで、腹水がたまってパンパンになった腹を抱えながら店に出ていた…とか。
私の好物は、ウインナー炒め、ケチャップで炒めたスパゲッティ、鮭かまの塩焼き、そして宮崎地鶏の焼きものとたまにしか作らないカレーに夏でもあるおでん。
カウンターに並んでいなくても、私の好物は冷蔵庫の中に取り置いてあった。
無くてもチャチャっと厨房で作ってくれる。
主婦以上って感じ。
鍋も美味しかったな〜。
あの世でも店やってるのかな〜?
ありがとう、よねちゃん。

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