2012年10月14日日曜日

バスで広島の旅

林原美術館友の会の旅行に参加。
今回は前館長の熊倉功氏が館長時代に企画したもの…ってことで、熊倉氏も参加。
もちろん、旅行申し込みはあっという間の完売…私は、抽選分で拾われた(笑)
っで、今回の旅行のメーンは上田流和風堂。
言わずと知れた武将茶人・上田宗箇(重安)が興した茶道流派上田流の「総本山(?)」。
今年2月の「上田宗箇武将茶人の世界展」に出ていた鎖の間などの本物を見ることが出来る。
バスが道に迷って1時間近く遅れるというハプニングはあったが、
上田流和風堂で先回りした熊倉前館長と合流。
場所は広島城から西へちょいと行った「西区古江東町」。


まー、今となっては混み合った住宅地だが、そこの広い広い土地に和風堂はある。
和風堂全体図(上田流和風堂オフィシャルサイト内)
元々、広島城内にあった上屋敷に和風堂はあったのだが、第2次大戦で消失。
それ以前に現在の地に古文書等は移されていたのと、東側の山が原爆による被害を抑えたお陰で、古文書に記された上屋敷総図を基に昭和58年に復元したのが現在の和風堂。
っで、我々はまず、冠木門から長屋門を通り錦之間へ。
ここで用を足して、松涛に荷物を置いて、和風堂の方の案内で各所を見て回る。
長屋門から外露地、内露地を経て茶室遠鐘へ。
途中、浅野の殿様だけが使ったとされる砂を敷いた雪隠や浅野家の芸州移封の際、1つだけ紀州から持って来た石「法螺貝之石」、織部灯籠、立蹲などを拝見し、いよいよ遠鍾へ。
っで、この遠鍾、元々は2畳台目だったそうだが、殿様が「狭いの〜」って言ったものだから1畳足して3畳台目となったとか。
足した部分は天井が確かに違う(この辺りも忠実に復元)。
そして我々は水屋を通って鎖の間、次の間、そして敬慎斎でお茶をいただく。
この時、お家元が上田流や現在の和風堂について説明してくださった。
これまで何回か上田流の方のお茶をいただいたが、すべてのお茶に共通して「キレのある渋み」と「ちょっと熱め」というのがあった。
この辺りも武家の好みなのだろうか?
武家と言えば上下関係も…ってことで、浅野の殿様が狭いと言えば遠鍾が1畳広くなったり、待合の殿様の席だけ足許の石が高くなっていたり、鎖の間や一之間には御成のための場所が一段高く設けられていたり…。
この辺りも、武将茶人ならではなのだろうか?
っで、お茶をいただいた後、さらに廊橋を通り三之間、二之間、一之間を拝見。
和風堂のどの部屋も襖だけでなく障子の縁にも塗りが施され、重厚感が漂っている。
また、三〜一之間から見ることが出来る庭には立派な枝垂れ桜が…。
実際に和風堂を見学して初めて上田宗箇武将茶人の世界展で見たものの配置やスケール感などを実感できた。
やはり、実際に行って見て初めて分かることってのは…大きいものだ。
それにしても、熊倉氏がいなくなった林原美術館って…どーなるのかな〜。
少なくともこのようなイベントは難しいだろうな〜。

残念!
※遠鍾と鎖の間の写真はパンフレットから。

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